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友延 隼人(とものぶ はやと)

出身地 兵庫県 加古川市
生年月日 1981年 11月16日
経歴 平成16年 大阪市かすが整骨院に勤務
平成19年 神戸市とものぶ鍼灸整骨院に勤務
平成21年 明石市やわら整骨院に勤務
平成22年 医療法人社団 桃井整形外科に勤務
国家資格 鍼灸師
修了課程 神戸東洋医療学院卒業
モーションパルペーション研究会 ベーシックコース修了
モーションパルペーション研究会 アドバンスコースⅠ,Ⅱ,Ⅲ修了
国際整体協会 内臓テクニック課程修了
国際整体協会 クラニアルテクニック課程修了
国際整体協会 ディストーションテクニック課程修了
国際整体協会 和整体師認定
CKワープ臨床研究界 0期生卒業
趣味 野球
血液型 O

『きっかけから開業までのストーリー』

「治療家の道に入ったきっかけ」

私は小学2年から大学4年まで、ずっと野球に打ち込んできました。自分でいうのもなんですが、かなり真剣に取り組んでいたつもりです。とはいうものの凄い選手という訳でもなかったので、大学野球を引退する頃には野球で生計を立てる事も既に諦めていました。

そしていざ引退して、さあこれから就職活動!となった時に、これまで野球の事しか頭になかった私は、「自分はこれから何をすればいいんだろう?」「どうやって生きていけばいいんだろう⁇」という疑問に苛まれ、悩んでも悩んでも全く答えが見つからない日々が続きました。

そして何も進路が決まらないまま卒業を目前にしたある日、兄から「俺の仕事、お前もやってみるか?」と誘いを受けることになります。途方にくれている私を見兼ねて言ってくれたのかどうかはわかりませんが、当時兄はすでに柔道整復師(整骨院の開業が出来ます)という免許を持っており、大阪で整骨院に勤めていました。そしてその兄の専門学校時代の同級生が大阪で整骨院を開業するので、スタッフを募っているというお話だったのです。

野球の現役時代に、整骨院には何度かお世話になっていましたので存在は知っていましたが、自分がその仕事をするなんて考えてもいませんでした。

ですが当時の私は、「とにかく何でもいいから始めなければ!」という焦燥感のみだったので、兄に即決で「お願いします!」と言ったのを覚えています。あんなに悩んでいたのはいったい何だったのでしょうか(笑)。

ですがあの時の躊躇がなければ、今の自分が存在しなかったのも事実です。就職活動しなくて本当に良かった!と今では思っています。

ですから私がこの業界に入ったきっかけは、自分が体を壊して凄腕の先生に治してもらったのがきっかけで・・みたいな良い話ではなく、ただ誘われたから何となく始めた、というのが正直なところです。

「修行、大阪時代」

そして大阪に行って整骨院に就職した私ですが、この頃の事は思い出すのも嫌なぐらい辛かったです。

というのも、その兄の友人の先生が凄腕という事もあり、整骨院は大繁盛していましたので朝から晩まで大忙しでした。そして仕事が終わると先輩と技術の練習を夜中までやる、という日々が続き、体力的にも精神的にも本当に大変でした。

私の場合きっかけがきっかけなので、最初は嫌々やっていましたし、何度も逃げ出したくなりましたが、兄の顔を潰す訳にはいかないという思いもあり、何とか必死に耐え忍んでいた感じです。

ですがそれから1年ほど経った頃、それまで自分の事だけで精一杯でしたが、手を抜く事はしなかったので、そんな自分を見てくださっていたのかは分かりませんが、少しずつ患者様に「ありがとう」と言っていただけるようになってきました。

この頃から、自分の中で何かが変わり始めました。この仕事の魅力が少しずつ解ってきたんだ思います。

それからというもの、自分から先輩に付き合ってもらって練習したり、医学の勉強をしたり、患者様の「ありがとう」を裏切りたくない、もっと役に立ちたい、と本気で思うようになっていました。

それから2年後に退職するまでの期間自分なりに努力し、本当に大変な日々でしたが自分にとって大変充実した3年間でした。たくさんの事を学ばせて頂いた院長、はじめお世話になった先生方には本当に感謝しています。

そして、こんな自分を受け入れてくれた患者様、特に辞める報告をさせてもらった時、本気で泣いてくれた患者様の事は一生忘れません。

こうして治療家として走り始めた私はこの直後、兄の開業を手伝う事と専門学校に入学するために、神戸に住む事になります。

「専門学校、そして兄の開業」

そして26才の時、私は鍼灸師の資格を取得するために、神戸三宮にある神戸東洋医療学院に入学します。

それと同時に、兄が神戸の北区に鍼灸整骨院を開業する事になっていましたので、そこのスタッフとして働きながら学生生活をスタートする事になりました。

この頃もとにかくバタバタした印象しかありません。午前中は仕事して、急いで電車に乗り夕方まで学校で勉強、そしてまた急いで帰って夜まで仕事するという、とてもハードな日々でした。

ですが、医学の基礎から東洋医学、鍼灸の実技など、知識に飢えていた私にとっては本当に刺激的で、勉強が楽しいと思えたのはこの時が初めてです。

そしてもう1つ衝撃を受けたのが、兄が施すカイロプラクティックという治療法です。 当時から存在は知っていましたが、実際に目の前で見たのはそれが初めてでした。

これには本当に驚きの連続でした。足を引きずって来られた患者様が、帰りにはスタスタ歩いて帰られる。そんな事が毎日当たり前のように起こっていたのです。

「これだ! この技術があれば、自分ももっと治療家としてレベルアップ出来る!」そう感じた私は兄に教えを請い、カイロプラクティックを習得しようと努力し始めましたが、これが本当に難しかった…。

正直当時の私には全く出来る気がしませんでした。やればやるほど???が増える一方でした。それでもいろいろと工夫し、何とか出来るようになろうと一生懸命努力しましたが、やっぱり感覚がうまく掴めません。

カイロプラクティックは非常に高度な治療法です。繊細かつ正確な触診技術と、絶妙な矯正能力が要求されます。

それを考えると、当然そう簡単に習得できるような技術ではありませんし、経験のまだまだ浅かった当時の私には分からなくて当たり前だと、今振り返ってみると無理もないと思います。

とにかく学生の間は全く形にならず、また3年生に上がる頃に兄の元を離れたので、残念ながらカイロプラクティックとは一旦離れる事になります。

そして、卒業までの1年間、明石にある整骨院で新たに働かせてもらいながら勉強に励み、翌年の春、無事に鍼灸師の国家資格を取得する事が出来ました。

「初めての病院勤務、そして治療法の模索」

晴れて国家資格を取得した私は、姫路にある整形外科で新たにお世話になる事になりました。

何故病院を希望したのかと言うと、1つは整骨院に比べると拘束時間が短いので、余った時間を勉強にあてられると考えた事と、もう1つは「医療を知ろう」と考えた事です。

自分が今まで見てきた症状に対して、病院ではどういう事をするんだろう? お医者さんの仕事はどういうものだろう? リハビリってどういう事をするんだろう? 今の病院が行なっている医療がいったいどういうものなのかをきちんと知っておく必要があると考えたからです。

そして実際に働かせてもらった結論から言うと、病院に就職出来て本当に良かったな思いました。 理学療法士の先生方の施術や運動療法、院長の豊富な知識や画像診断など、自分の知らなかった知識を本当にたくさん学ぶことが出来たからです。

そして私も施術を通して病院に貢献する事と、自分をさらに磨きあげるために、この頃から一旦中断していたカイロプラクティックの習得を再開しはじめます。

もう一度最初から本格的に学ぶ必要があると考えた私は、「モーションパルペーション研究会」という会に所属し、カイロプラクティックの基礎から応用までをしっかり学ぶために、月に1度の講習会に参加し始めました。

モーションパルペーション研究会は、中川貴雄先生という私達の業界では大変有名な先生が主催するカイロプラクティックを修得するための講座です。

毎月レポートを提出したり、修了試験があったり、こなすだけでも大変でしたが、中川先生という「ホンモノ」の方に直接指導を頂き、その技術に触れる事で徐々に自分が磨かれていく実感がありました。

「さらなる治療法の模索」

中川先生の元で約5年お世話になり、本当に素晴らしい技術を学ぶ事が出来たと思っています。

そしてモーションパルペーションを通して、治療家として本当に大切な事を教わりました。それは、「検査が全て」という事です。どんなに良い治療法を持っていても、それをどこにどのように使うかが判らないと全く意味がありません。

「検査に始まり検査で終わる」

これが出来て初めて、患者様の状態がよくなっているかどうかが判ります。それを学ぶ事が出来た私は、患者様のお身体に最少の刺激で施術が出来る様になりました。「どこにどのように」が判る様になったからです。

このスタイルで施術に臨むようになってからというもの、これまで改善の叶わなかった痛みや痺れなどの症状にも改善が叶うようになってきました。

ですがその反面、施術後は良くなって帰られるのですが、次に来られた時にはまた同じ状態に戻ってしまっている方も少数おられました。

「何故だろう?施術後は良い状態になっているのに….。」

その後、そういった方々の期待に応える為に、さらに知識と技術の研鑽に励む中、ある疑問に辿り着きます。

「そもそもなぜ身体は歪むんだろう」

そこには今の定説にはなっていないような、もっと深い理由があるのではないか?と考えるようになった私は、骨格だけではなく、少し違った視点から身体をみる必要があると思うようになりました。

そしてそんな中新たに出会った治療法が、「内臓クラニアルテクニック」そして「CKワープ」という治療検査技術です。

簡単に説明すると、内臓クラニアルテクニックとは、内臓の歪みを整えるテクニック、クラニアルとは頭蓋骨の歪みを整える事で、脳の状態を良くするテクニックです。

そしてCKワープとは非常に特殊な技術で、その方にとって何が問題なのか患者様のお身体から読み取り、その問題を見つけ出す検査法と、身体だけでなく、その方の精神にまで修正を施す施術法を組み合わせた技術になります。

これらの技術は当時、国際整体協会という所で講師をしておられた岡田裕二先生という方に教えて頂いたのですが、初めてその技術に触れた時には、本当に衝撃的でした。

とにかく何故それだけで身体が変わってしまうのか、そしてただ触れているだけで何故そこまで解ってしまうのか、骨格の歪みも自然と整い、身体の動きも変わっていきます…。

「そもそも何故身体が歪むのだろう?」の答えがここにあると思いました。

これらの技術は手の繊細な使い方と、術者の感覚やイメージが最も重要です。そのためには人間の身体のしくみと、その機能が細かい部分まで理解できていないと扱う事が出来ません。

そのためにまた基礎から人間の身体について勉強し直し、技術も何度も何度も繰り返しながら習得に励みました。

本当に苦労しましたが、これらの技術を習得し、施術に取り入れるようになってからは、これまでよりもさらに様々な疾患に対して、対応が可能になったという実感があります。

ここまでが治療家としての私の現在地です。振り返ってみると、ここまで来るのに14〜5年の月日が流れました。長かったように感じますが、あっという間だったような気もします。

そしてこれからも治療法の模索は続いていきます。これまでの技術を磨き上げていく事はもちろんですが、これからも必要だと思えたものは、柔軟に取り入れていきたいと考えています。

「そして開業へ」

今までいろんな事を学んできましたが、治療家としての自分はまだまだだと思っています。兄や中川先生、岡田先生のように、私より凄い先生はたくさんおられます。

そういった方々に肩を並べられる様に、これからも知識と技術、そして人間力を高めていける様、これからも努力し続けようと思います。

そしてそれと相まって、今の自分なら、本当に困っている方のお役に立てるのではないかとも思えるようになってきました。

その思いから、令和の始まりと同時に、兵庫県姫路市に「Hact治療院」をオープンさせて頂きました。

現在もいろんな事で苦しんでいる方はたくさんおられます。そんな方々のために、私はこれからも出来るだけたくさんの方を、施術を通して救っていきたいと思っています。

そして幸せの輪が広がる場所として、Hact治療院が存在出来ればこれほど嬉しい事はありません。

そのために残りの人生を掛けて、精一杯精進します!

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

友延 隼人

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